T氏です。五郎丸歩選手がヤマハに復帰したようです。
ワールドカップ後キックの時のポーズなどと一躍有名になりテレビCM、番組など色々と引っ張りだこだったのですがそこからばっと話を聞かなくなりましたね。
ワールドカップ後、何があったかを調べて見ました。
プロフィール
- 福岡県福岡市出身
- 身長 185cm、体重 100kg
- ポジションはフルバック(FB)。
- 日本代表キャップは57
- ニックネームはGoro(ゴロウ)
- 血液型はB型
経歴
3歳でラグビーを始める。福岡市南区鶴田小学校出身。
小学校4年から6年まではサッカーに専念し、福岡市選抜に選ばれたこともある。
同市南区老司中学時代はサッカー部とラグビークラブに所属。佐賀工業高校時代には3年連続で花園に出場(いずれもベスト8)。U17日本代表にも選ばれる。
早稲田大学スポーツ科学部スポーツ文化学科に進学し、1年時よりフルバックのレギュラーとして活躍。全国大学選手権優勝を経験。
2005年3月、日本代表に選出。2005年4月16日、対ウルグアイ戦で日本代表デビューを果たした。
2015年、ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選ばれる。
本大会ではグループリーグ4試合に出場し1T/7G/12PGの合計55得点を記録、第3戦のサモア戦と最終戦のアメリカ戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選出、また大会終了後には大会ベストフィフティーンにも選ばれた。
同年11月4日、2016年シーズンよりオーストラリアのスーパーラグビー所属のレッズに加入することが発表された(ただし、現所属のヤマハ発動機には属したままでの加入となる)。
その後結局2016年シーズンはRCトゥーロンでプレイした。11月に初出場を果たし先発も経験したが出場機会に中々恵まれず、2017年4月、契約更新をしない方針を明らかにした。2017年7月にヤマハ発動機にプロ契約で復帰。
不遇のレッズ、RCトゥーロン時代
「五郎丸でなければ夜も日も明けぬ」といったラグビーとしては空前の人気の中、南半球のスーパーリーグ(SR)レッズ(豪州)に入団したのが昨年2月。その後、トゥーロンに移籍したが、ここまで24試合で出場は5試合しかない。
「日本にはない、ポジションを勝ち取る厳しい環境」を求めて挑戦した海外だが、環境に打ち勝って定位置を奪うまでにはいかなかったようだ。
同会長はフランスの別のメディアに対し「期待していた。いいキッカーだが、W杯のときのすばらしさとは別人のようだ」と失望を隠さなかったいう。
というのが表向きだが本当は試合にでれなかったのには他の理由があったようだ。
ふつうなら「あの人はいま」状態になるところだが、五郎丸は最盛期に比べ本数は減ったものの、いまも焼きおにぎりやビールのCMで顔がつながっている。
「五郎丸ポーズ」をマネして喜んでいた“ミーハー”ファンはもうとっくに熱がさめたろうが、まだまだ根強いファンは多い。「海外は無理なら早く日本に戻ってバリバリやってほしい」と思うのは当然だ。
言葉の壁も
レッズで出場機会が少なかった大きな要因は、“言葉の壁”だったとされる。監督がベンチにすら入れないラグビーという競技の特性上、局面局面でどういう戦術をとるかは選手たちの判断に任される。その際に、必要なのが当然のことながら英語力である。
タメンから外した理由について、スタイルズ共同監督代行は「五郎丸は英語できないから」との趣旨のコメントを繰り返していた。英語ができないのは、ラグビー選手として致命的だ。
次に行くトゥーロンで使用されるのはフランス語。ただでさえ、フランス人はプライドが高く、英語を知っていたとしても、話すことは少ない。
プレーの中では英語での指示も飛び交うとみられるが、いずれにせよ、フランス語、せめて英語ができないと、出番はなくなる。
気になる年収
RCトゥーロン時代で約2億200万円その当時の世界一!
日本復帰後は2000万と言われている。
まとめ
- 五郎丸歩選手がヤマハに復帰した
- 海外挑戦失敗の裏には言葉の壁があった
- RCトゥーロン時代で約2億200万円その当時の世界一!
- 日本復帰後は2000万と言われている
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