T氏です、6月30日が故パク・ヨンハがこの世を去ってからの7年の日となった。パク・ヨンハの死は韓国と日本で大きな愛を受けていただけあり、多くのファンが衝撃を受けた。さらにパク・ヨンハは自ら命を絶ってしまったのだから。
時が経つのも早くすでに7年前の出来事。今一度パク・ヨンハの事を振り返って見ようと思う。
盆唐(ブンダン)メモリアルパークには、彼を恋しく想う多くのファンが詰めかけている。
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パク・ヨンハの死因は?その理由は?
パク・ヨンハは7年前30日未明に自宅で首をつって死んでいるのが発見された。
訃報が伝わった直後、各方面から理解できない突然死といわれ騒がれた。その当時、新たに出演するドラマ「ラブソング」の撮影準備にも非常に意欲的だでアジアツアーの一環として日本訪問も予定されていた。
遺書などは発見されず、正確な動機は明かされなかったが、当時の警察の発表によるとパク・ヨンハは経済的にも苦しんでいる様子は無く、うつ病、病歴などもなかったされた。
パク・ヨンハの父親ががん闘病中で事業と演技活動の並行に対するストレスと推測されていた。
事件は自殺という形で幕を閉じた。
その後、明らかにされたのがパク・ヨンハは警察の発表には色々と事実と異なる事があったという。
個人事務所設立後金銭的負担が伸し掛かる
2008年個人事務所であるヨナエンターテイメントを設立。
会社の経営と自分の活動に対して多くの負担を抱えていた。知人達の当時の証言によると
「日本での人気をもとにブランド製品事業と外食事業を推進したが、負担が大きかったようだ」とし「最近は眠れないと睡眠薬を飲んでいた」と話した。
2010年初めには会社内公金横領事件、さらには苦楽をともにしたマネージャーYと決別で傷心状態だったという。
活動全般にわたってYさんを全面的に信頼していた事からマネージャーYとの決別後パク・ヨンハは心理的に不安定になっていたと言われている。
胃癌闘病中の父親
胃癌で闘病中の父親に対する懸念も多かった言われていた。
死亡する直前の深夜にも父親の背中や足をさすって看病していたと言われている。末っ子である彼は、普段から親孝行息子だった。
パク・ヨンハの父親は惜しくも10月22日午後にが胃がんのため亡くなった。
孝行息子であったパク・ヨンハだが韓国では昔の風習の名残で現在も“親より先に亡くなった子供は同じ墓にはいれない”という事があります。
韓国の伝統的な墓のスタイルは、“墓域”という区画の中に、基本的にひとり1基ずつつくる形。
パク・ヨンハと父親は、すぐ近くにお墓を構え、まるで同じお墓にはいったような状況となりました。
これには亡くなった父親や遺族の、強い希望があったからなのかもしれま
人気に対する負担
2002年ドラマ「冬のソナタ」で日本で一躍スターダムにのし上がった後、海外活動で人気独占をしてきた一方、国内では相対的に低迷していた事も負担だったのではと言われています。
2008年久々に姿を見せたドラマ「オンエア」は高い人気を集めたが
その後、2010年にはドラマ「ザ・スリングショット~男の物語~」や映画「作戦」などは大きな人気は集められなかった。
意欲的に参加した作品で大きな成果を見られないと、パク・ヨンハは悩んでいたと知人達は語っていたようです。
同年の8月から撮影予定だった新しいドラマ「ラブソング」には大きな期待をかけていた。
パク・ヨンハと「オンエア」を制作したキム・ウンスク氏は「20日前に電話で話した時、新しいドラマを撮り始めると喜んでいた。とても明るい声だった。信じられない」と大きな衝撃を見せた。
日本ツアーの為、日本にいるはずだった。
パク・ヨンハが韓国ににいたという点に対してもおかしく思う人が多い。
2010年6月26日から日本でツアーがあり、死亡した30日も既存のツアーの日程なら日本にいるはずだったのだが 。
パク・ヨンハは「作戦」で共演したキム・ムヨルの父親の葬儀のため、10日前ごろに日本から帰国していたが、予定どおりなら日本でツアーをしていなければならなかった。
まとめ
- 6月30日が故パク・ヨンハがこの世を去ってからの7年の日となった。
- 事件は自殺という形で幕を閉じた。
- その後、明らかにされたのがパク・ヨンハは警察の発表には色々と事実と異なる事があったという。
- 個人事務所設立後金銭的負担が伸し掛かる
- 胃癌闘病中の父親
- 人気に対する負担
- 日本ツアーの為、日本にいるはずだった。
- 盆唐(ブンダン)メモリアルパークには、彼を恋しく想う多くのファンが詰めかけている。
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