T氏です。デビュー30戦目にして初黒星を喫した将棋の最年少プロ棋士、藤井聡太四段(14)がきょう6日、大阪市の関西将棋会館で行われる順位戦C級2組で中田功七段(49)と戦う。2日に公式戦最多連勝記録が「29」でストップした後の仕切り直し。
中田功ってどんな棋士?
名前は「いさお」であるが、名前の音読みから、「コーヤン」の愛称がついている。
30代の頃までは髪型は七三分けで眼鏡を着用していたが、40代になる前後の時期に髪型は坊主頭で裸眼になり、にわかに同一人物とは気づかれない程のイメージチェンジをした。
「将棋世界」2000年1月号付録「2000年棋士名鑑」に「180cm、54kg、棋界No.1の痩身棋士(?)」とある。BMIで言えば16.7で、標準の22に対しマイナス24%の痩せである。
ビリーバンバンの歌声のような、ソフトで細い声と穏やかな語り口に特徴がある。冗談を言うときにも同様である。
中田は昭和のレジェンドと言われた故大山康晴15世名人の弟子で、変幻自在の指し手で知られる。
棋歴
中学1年でプロを目指し、福岡から上京。近代将棋社の永井英明のもとに住み込み、修行に励んだ。1980年、第5回中学生名人戦で優勝している。
1986年、18歳でプロ入り。
第51期(1992年度)順位戦C級2組で最初の2局で連敗したが、そこから8連勝する粘りを見せ、C級1組へ昇級。
第41期(2000年度)王位戦でリーグ入り。王位挑戦者となった谷川浩司に黒星をつけるが、リーグ残留失敗。第45期(2004年度)王位戦でもリーグ入り。中原誠、深浦康市らに勝利して2位タイの3勝2敗とするが、前期から残留の中川大輔との順位の差に泣き、リーグ残留失敗。
第70期(2011年度)順位戦で降級点を抱えた状態で3勝しかできず降級のピンチに立たされる。最終局の相手は現役最古参の加藤一二三で、加藤の棒銀に対し振り飛車で挑んだが完敗。降級点累積により19年所属したC級1組からC級2組へ降級となった。
中田功の戦法、中田功XP
中田功XP(なかたいさおエックスピー)は、将棋の戦法の一つである三間飛車の一手法。対居飛車穴熊攻略法として注目されている。
プロ棋士の中田功が創案し、島朗が自著『島ノート 振り飛車編』で紹介して広まった。
「XP」は同書が書かれた2002年当時、Windowsの最新バージョンであった「Microsoft Windows XP」から取ったものであり、この戦法を「中田功XP」と呼んだのも『島ノート』が最初である。
藤井聡太との対戦について
藤井の再スタートに、難敵が立ちはだかる。切れ味が鋭い将棋を指す愛称「コーヤン」こと中田だ。白い肌に長身。白髪まじりの短髪は、修行僧のような雰囲気を漂わす。歴代1位の通算1433勝の大記録を持つ大山15世名人の愛弟子でもある。
藤井は2日の竜王戦決勝トーナメント2回戦で佐々木勇気五段に敗れ、連勝記録「30」の大台は逃した。それでも昨年12月のデビューから年長者を次々に退け、30年ぶりの大記録を打ち立て、世間に強烈なインパクトを与えた。初黒星後も「気持ちを切り替え、1局1局指していきたい」と自然体を崩さず、前を向いた。中3日で迎える対局は新たな戦いのスタートとなる。佐藤天彦名人の師匠としても知られる。
今後、藤井聡太が「伝説」を作っていくには、「大山ファミリー」との戦いは避けて通れない。
結婚や子供、彼女の情報
中田功七段の結婚や彼女についての情報を探しましたが見つかりませんでした。
プロ歴31年で何も話しがないのという事は独身説が濃いいです。
詳細が分かり次第お知らせします。
不祥事
2007年8月6日、対局の日程を勘違いし、第16期銀河戦(伊藤能戦)で予選の当日に対局場に現れず不戦敗となった。
中田は過去20年間で当人の不注意により上述を含め6回不戦敗を犯しており、かねてより所属棋士から対応の甘さを指摘されていた日本将棋連盟は、罰金100万円及び次期銀河戦への出場停止の処分を下した。
まとめ
過去に不祥事などもありましたが、中田功は技巧派の強い棋士です。藤井聡太がどのような将棋をさせるか楽しみです。
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