T氏です。
ハリルホジッチ監督が電撃解任されてその次の監督が誰になるんだと気になってる方が沢山いらっしゃると思います。
噂によると西野朗監督がなるのではないかと言われています。
サッカーになじみがある人にとっては西野朗監督の事がわかると思うのですがそうではない人は一体誰?って思った人もいると思います。
そんな西野朗監督に関して色々と調べてみました。
Contents
西野朗の年齢や出身などのプロフィールは?
生年月日 1955年4月7日(62歳)
出身地 埼玉県浦和市 (現:さいたま市)
身長 182cm
体重 72kg
高校 埼玉県立浦和西高校
大学 早稲田大学
クラブ 日立製作所
現在、日本サッカー協会の技術委員長を務め、ハリル監督を支えてた西野朗氏。
選手時代は、日本代表に選出される実力の持ち主でした!
主なポジションはMFで、日本サッカーリーグでは8試合連続得点をあげ、ベストイレブンに選出されています。
イケメン過ぎてやばい!
高校時代から貴公子とよばれ、女子からの人気があり、西野監督にファウルすると、外野のクレームがすごかったんだみたいです。
天才肌で、晩年にはDFも務めていたようですが、
143試合29得点、日本代表では12試合に出場し、
1990年(35歳)に引退されています。
それからは監督としてガンバ大阪を率いてACLの優勝をしています。
詳しい事は後ほど書きたいと思います。
そんな西野朗監督のイケメンエピソードは監督になってからもあります。
何かというと、スポーツニュースでガンバの試合のダイジェストが流れる時は監督のアップから始まる確率が高いという噂あり。
本当かどうかはわからないですけどあれだけイケメンだったら絵になるしありえますよね。
戦術はどういうのなの?
西野監督と言えば、巷では「弱小チームだったガンバ大阪を継続してリーグのトップ3に入る強豪チームに仕立て上げた監督」という評価が一般的です。
『ガンバ大阪』と言えば、
攻撃サッカーやパスサッカー、ポゼッションサッカーと呼ばれるイメージを作ったのは間違いなくブレない西野監督の手腕があったからこそ!!!
そして、才能ある選手に対して戦術で雁字搦めにせずに、「ガンバはシステムありきでタレントが成立するのではなく、タレントありきでシステムが成立する」っという名言を残しているように、戦術論でなく、タレントを組み合わせてチームを作ってきた事です!!
特に就任当初は、日本代表でフィリップ・トルシエ監督が【フラット・スリー】という独自の守備システムを採用していたり、中田英寿の参戦もあって、イタリアの戦術論が日本でも話題となって、各チームが戦術に固執する時代を、切り抜けてのパスサッカーへの転換というのは素晴らしく理想的な発展の仕方だと思います!!
逆に、西野監督の弱点は、一人で何でもするところです。長所でもあるのですが、彼の場合はコレが短所となり、アシスタントにつくコーチなどが出世していく、という例が全くないのがその証拠です。
【西野朗監督の長所】
①攻撃サッカーという確固たるスタイル、クラブイメージの確立
②戦術で選手を壊さない
③安定した成績
④たった一人で全てを掌握し、チームを導ける
【西野朗監督の短所】
①固執しすぎる攻撃への姿勢から、墓穴を掘る。(本人も「もっと柔軟にやれば獲得出来たタイトルもあった」と認めている)
②コーチを育てられない、一人で何でもしすぎてしまう。
③固定メンバー色が強い(ただし、コレはJリーグ全体のクラブが抱えている問題であり、ローテーションを採用するJクラブは今まで成功例がない。)
西野朗の監督としてのこれまでの実績は?
1990年 – 1991年 日立製作所:ヘッドコーチ ナビスコ杯優勝
1991年 – 1992年 U-20日本代表:監督
1994年 – 1996年 U-23日本代表:監督 ブラジル戦勝利(マイアミの軌跡)
1997年 柏レイソル:ヘッドコーチ
1998年 – 2001年7月 柏レイソル:監督 Jリーグ最優秀監督に選出
2002年 – 2011年 ガンバ大阪:監督 J1リーグ優勝・最優秀監督
2012年5月 – 11月 ヴィッセル神戸:監督
2014年 – 2015年 名古屋グランパス:監督
2016年 – 日本サッカー協会
2016年3月 – 理事
2016年3月 – 技術委員長
数々の実績がある西野朗監督ですが、特にすごかったのが2008年のガンバ大阪時代。
AFCチャンピオンズリーグを制し、AFCからアジア最優秀監督に選ばれ、
FIFAクラブワールドカップ2008準々決勝で
日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初めて勝利を挙げています!
この年は天皇杯も制したガンバ大阪。
Jリーグ発足以降、タイトルとは無縁だったチームは、西野朗氏の指揮により強豪と表されるようになります!
そして忘れてはならないのが、マイアミの軌跡!
1994年にアトランタ五輪を目指すU-23日本代表の監督に就任、
同代表は28年ぶりとなるオリンピック出場を果たし、
1996年の本大会では予選ステージで強豪ブラジルを相手に勝利!
日本中に歓喜をもたらしました。
この時のことを、西野朗監督は、
「就任したばかりの頃は、世界を目指すという目標に対してなかなか実感を持てず、その年代の選手たちにうまく伝えることができませんでした。でも、Jリーグの発足を機に選手たちの意識がガラリと変わりましたね。日本サッカー界が大きく変わろうとする時代に指導者としてのキャリアをスタートさせたので、本当にいい時代に、才能ある若者を預からせていただいたと思います。若者がアジアから世界に目標を変えていった、本当にものすごいスピードで成長した時代だと思いますね」
http://chubu.pia.co.jp/interview/sports/2013-05/talkbattle-report.html
と語っています。
さらにびっくりするのが西野朗さんのJリーグ監督通算勝利数270勝は、歴代1位となっています!
西野さんの指導者としての実績や経験はこれまでの技術委員長よりもはるかに上だそうで、
日本代表監督に就任しても期待が持てますね!
西野朗監督の嫁や子供は?息子もサッカー選手?
西野朗監督は日立製作所時代に、美佐子夫人と結婚し、お子さん二人がいらっしゃいます。
美佐子夫人はとてもきれいな方だそうですよ!
お子さんは、さやかさんと、卓朗君というそうです。娘さんは、背が高く、スラっとしているそうです。
お子さんは現在30代と思われ、もしかしたら、西野朗氏にはお孫さんもいるかもしれません。
息子さんもサッカーをされているかどうかは今のところ不明でした。
西野朗氏の名言とは?
WBC世界フェザー級王者の初防衛戦を控え、前日2日に公開スパーをした長谷川穂積選手の言葉を引用し、ガンバ大阪時代の開幕戦を控えた言葉。
「殴られたら殴り返すスタンスではなく一方的に殴り続けたい。
奇麗な顔で終わりたい」
先ほどもいいましたが才能ある選手に対して戦術で雁字搦めにせずに、戦術論でなく、タレントを組み合わせてチームを作ってきた西野朗氏の言葉。
「ガンバはシステムありきでタレントが成立するのではなく、タレントありきでシステムが成立する」
国際舞台は自分の限界を見極める場所ではないし、あくまでプロセス
「僕は勝つだけでは気に食わない」
ガンバ大阪時代、前半2−0でリードした後、まったりしてしまった時間帯を指摘。
「そのうち入る3点目なんてない!」
守備が疎かになるのでは?と言う声もきかれますが、それが世界に通用するのか。前回ワールドカップの時の監督のザッケローニ監督は攻撃的サッカーしようとして散っていきましたね。
かつら疑惑ってまじ?
そんなイケメンの西野朗監督なんですがかつらというキーワードが検索するとあがってきます。
えっ?あんなイケメンにも欠点があるのかとちょっとワクワクしてしまったのはT氏だけではないはずです。
だって
こんなイケメンなんですよ、このイケメンも頭が禿げてたらさすがにイケメン度も半分になるはずです。
最近の画像をみつけてみたのですが。
全然はげてるように見えないしこれがかつらなの?って思ってしまう出来です、技術の発達はすごいんですね。
ってそんな事に感心している場合ではないですみんなが見たいのはかつらが取れたところだーーーーー!
そして我々は一生懸命ちょうさしてみたのですが。
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どうやらかつらじゃないっぽいです。(くそー)どこまでイケメンなんだーーーって思ってしまいました。
じゃあいったいどこからそんな噂が?疑惑がたったの?昔から言うじゃないですぁ。
火の無い所に煙は立たぬ
って!
色々と調べてたらこちらの画像がその疑惑が立った画像見たいです。
確かにそういう風に言われてみるとそんな気もしなくはないけどーって具合です。
どこまでいってもイケメンはイケメンのままなんです世の中不公平です。
まとめ
以上が西野朗監督の経歴や戦術そしてかつらの疑惑に関しての調査結果でした。
代表監督になった時には、頑張ってほしいですね!
ワールドカップ優勝してかつらを取る落ちがあったら最高なんですけどね(まだねたんでるT氏)
っていうのはうそです!本当にイケメンの西野朗監督になったら監督が移るのを見るのもかっこよくて楽しみです!
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